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優しい人こそ、同性愛を拒絶したくなる

同性愛について日本で初めてきちんと議論が生まれている。オカマという別枠で同性愛を区別し、それを「日本は同性愛に寛容な証」と信じてきたひとは渋谷で日の丸背景に同性愛反対を叫ぶ集団を知り日本にも差別があることを知ってびっくりしたかもしれない。

ところで、なぜ同性愛差別があるのだろう?こんな質問をすると多くの人は「なんだか気持ち悪いから」というリアクションをする。逆に「優生学的に同性愛者は遺伝子を残せないエラーだから」なんて理由を付けてくる人の方が少ない。そして「なんだか気持ち悪い」という言葉を受け取るたびに、私は「この人も優しい人なんだな」と思う。優しい人は同性愛がおおっぴらに存在すると傷ついてしまうのだろうな、と。


『同性愛は普通にある』と認めることは何を意味するか。今まで《友人》だった人々が友人でなくなる可能性だ。この世には異性愛しかないと信じれば「あいつは友達、だって男だし」「あいつは友達だけど、あわよくば彼女。だって女だし」という性別でラベルを貼ることができる。逆に同性愛を認めれば「あいつは男だけど友達じゃないかもしれない」という思考が生まれる。20人に1人は性的マイノリティと言われているので、男子校・女子高ならクラスに1~2名が「友達」の枠を抜けてくる。

特に男性が同性愛の存在を認めることは「自分が無理やり口説かれるかもしれない」「自分が性暴力の被害者になるかもしれない」という新しい恐怖を生む。今まで「女性は夜道で気をつけなきゃ」と笑って忠告していた男性は恐怖を覚えるかもしれない。『俺が、夜道で気をつけなくちゃ』と。同性愛を認めない人は人口の半分を「自分を性的に脅かさないやつら」として安全圏に置けたのだ。

たとえば「男女の友情なんてありえない、どこかで異性は恋愛対象になる」という発言、実生活で聞いたことがある人も多いと思う。こう言っていた人が同性愛を認めたら、もうその人は他人を一切家へ呼べないだろう。「ニンゲンと友情なんてありえない、どこかで性的に気になるものだよ」になってしまうから。逆に言えば「男女の友情なんてありえない、どこかで異性は恋愛対象になる」という発言がまかり通ってきた日本の社会では、同性愛なんて黙殺の対象でしかなかった。

このように、日本では同性愛を認めないことで同性なら性的に安全だと勘違いしてきた。優しいメンタリティで「友達は自分をレイプするかもしれない」可能性から遠ざけてきた。しかし、同性愛を認めるなら「誰もが加害者かもしれない」のだ。もしかして友人は《加害者になりうる》のかもしれない。そんな世界は「なんだか気持ち悪い」に決まっている。

私も昔、彼女が欲しくて行ったレズビアン限定のイベントで初対面の女性にホテルへ引っ張られたことがある。恐怖でいっぱいだったし、それこそ「バイでなかったら女性からこんな目に合わされなかったのに」と思ってしまった。しかし、重要なのはレズビアンが性に積極的なのではなく《性に積極的な女性》という生き方はレズビアンの世界くらいでしか許容されていない現状のほうだ。


同性愛を議論するときに「同性愛ってなんだか気持ち悪い」という異性愛者の言葉をこき下ろしてはいけない。「気持ち悪さ」というあいまいな感情だから差別は本質的なのだ。そこには「女性は男性をレイプしたりしない」「男性は女性と友情から始まっても最後には口説くもの」という男女差別が同性愛差別のベースとして眠っている

本来は女性だって男性をレイプするし、男性だって「女性にナイフで脅され、レイプされるかもしれないから夜道に気をつけなくちゃ」いけないのだ。同性を安全な繭に包み、男が常に女を一方的に襲ったり守ったりする幻想は崩れつつある。

同性愛を差別して、同性=安全と優しいレッテル貼りをしても、自分の身を危うくするだけだ。そろそろ人口の半分を視界に入れなくてはいけない。「性暴力の加害者になる人は性別/性志向に関わらずいる」と認識することこそ「どんな性志向でも私の友人はそんなことしない」という本物の信頼関係に、繋がっていくのだから。

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【2015/03/13 19:23】 | ライフハック | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
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コメント
めずらしく的外れだね。
女性に男性のことは一生わからない。
女性が常に強姦の危機感を感じているってのは文章から分かったけど(非常に身近に感じている)、男性にとって通常強姦されるってのは予想・想定すら出来ないレベルのことであって、意識にあがることすらない。
直感的にしか答えれなくて申し訳ないけど、男性として思うのはまず同性愛者を苛めるのとは無関係だと思うよ。

おそらく男性が同性愛者を苛める理由はレイシズムと単純に原理が同じで、強姦されるような恐怖感が原因であるとはちょっと考えにくい。
【2015/03/14 02:12】 URL | 通りすがり #-[ 編集] | page top↑
なるほど、その視点はなかったです。
同性愛者は暴力をふるわない、安全な人というイメージが強かったです。
ところで異性愛者同士に見えるバイのカップル、普通にいるかもですね。
【2015/03/14 08:46】 URL | ライム #-[ 編集] | page top↑
同性でも異性でも自分が興味ない人から性的な目で見られるのが嫌なだけじゃないでしょうか
強姦云々は男からすると関係ない気がします
【2015/03/17 14:41】 URL | #-[ 編集] | page top↑
今まで「女性は夜道で気をつけなきゃ」と笑って忠告していた男性は恐怖を覚えるかもしれない。『俺が、夜道で気をつけなくちゃ』と。

的外れにもほどがあるww
完全に女性の目から見た意見でしかないよ(笑)
普通の男ならそんなこと考えない。もし考える奴がいるとしたら、そいつも同性愛のケがあるんだよ。
【2015/03/18 12:44】 URL | らるらる #-[ 編集] | page top↑
男性ですが、普通に恐怖感は感じますけどね
まあ、撃退する自信はありますが
【2015/03/18 14:04】 URL | #-[ 編集] | page top↑
女であっても普通の人は恋愛対象になることと、それが恐怖の対象になることがイコールになることはないですね。可能性として頭の片隅にある程度。同性愛を嫌悪するのは、多くのひとの”自分と同じ価値観ではないもの”を排他する気持ちからではないでしょうか。
【2015/03/20 10:07】 URL | a #-[ 編集] | page top↑
これを的外れだと一蹴してしまう人はもう少し詳しく語って欲しい。
自分は男性で、この記事に大いに納得した。
バイの友人2人に手を握られた経験がある。
無理に迫られた訳ではないが、友情と恋愛感情の境目の脆さ、
そして、好みでない異性に言い寄られた時の申し訳なさを感じた。
そのことを思い出すたび、2人で会う時に相手の性別はただの1属性でしかなく、
人対人で真摯な関係でなければいけないと思うのだ。
【2015/03/23 14:58】 URL | #-[ 編集] | page top↑
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