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1年間精神療法を受けて、母親を愛せるようになるまで

きっかけは彼の浮気だった。
当時大学3年生、結婚しようと約束した相手がいた。
そんな彼のパソコンを借りてネットにつないだところ
画面に現れたのは、別の女性に対するメッセージ。
「今の彼女と別れたら結婚しよう。」
相手の女を調べた。女は、合計5人いた。

同居していた彼の目の前で怒り狂い
相手の女の職場へ無言電話を繰り返した。
隠れて女が家に来たのを知ったときは
肘鉄で窓ガラスを破壊した。(自分が怪我をした。)
数針縫った後に、泣きながら彼に精神科へ連れて行かれた。

「自己愛性人格障害ですね」と診断を受ける。

自己愛性人格障害とは、文字通り
とびきりの自己中なあまり
社会や自分に害を及ぼす”性格”の人を指す。
つまり性格があまりに捻じ曲がっていて
精神病のカテゴリに入れちゃうレベル、ということ。
そこから、週に1度、1年間の精神療法が始まった。

初期の精神療法は
”自分の記憶を一番古い順に掘り出す”ところから始まった。
「私は愛された記憶がありません」
というのが、1番最初に医師へ伝えたこと。

幼少期から両親が忙しく、親戚の家、母の友人の家、
ばあやの家を転々としていたこと。
1ヶ月に1度会う母には身体的な暴力を受けていたこと。
ガスコンロへ手を突っ込まれたりしたこと。
食事が無い日があって、学校で配布される紙を食べていたこと。
転校を繰り返し、ある学校では人気があったり
ある学校では苛められる立場になったりと立場が安定しなかったこと。
17歳でレイプされたこと。
レイプされた自分を、母が「ざまあみろ」と吐き捨てたこと。
最初にできた親友がいじめられて
人と話ができないところまで追い詰められたこと。
何度自殺未遂をしても死ぬことすらできず
悔しくて、それならばいっそと
人から奪う側になって生きようと思ったこと。

当時の私からすれば、とにかく人生というのは
生きれば生きるほど搾取され、いじめられるものであり
いつか自力でのし上がって
”こんどは私が奪う側になってやる”と思うことで
ようやく生きているような状態だった。
1度でも裏切られた相手は容赦なく攻撃し続ける。
自分を侵害されることが怖くて仕方がないからだ。

約数ヶ月かけて、私の人生の記憶を語りつくした。
語り、共感してもらえることで苦しみは少し癒えていた。
今までこれらの重い話題を、距離を保ちながら
”きちんと”共感してくれる人はいなかった。
そして、医師は言った。
「あなたのお母さんはどんな人生を歩んだのですか?」

はっとした。

母も搾取される人生を歩み続けていた。

私の祖母は満州から引き上げた人間だ。
終戦直後の混乱の中、祖母は引き上げの途中で
母の兄弟に当たる子供をほぼ死なせてしまっていた。
終戦後ようやく母が生まれたのもつかの間、
シベリアへ抑留され体がぼろぼろだった父親は死去。

唯一生き残った兄弟である兄は、
満州で1度捨てられ、残留孤児になりかけた人だった。
兄は自分を捨てた母親を憎み
家庭でよく暴力を振るったという。
母は兄の暴力を見て、怯えながら育った。

母は逃げるように22歳で結婚したが、相手が無職のヒモで
浮気されたのを機に家を出ることにした。
娘が2人いたが、両親共に子供を育てる余裕が無かった。
母の最初の子供たちは”両親に親権を拒否される”という
残酷な体験を思春期のころに経験する。

その後母は今の夫(私の父)に出会い
安定した生活を手に入れた。
しかし、私の姉たちは、母を憎んでいた。
私が物心ついたころには、母から遠ざかるため
姉たちは海外の全寮制の学校へ通っていた。
路上で姉と母が殴りあいの喧嘩になったこともあったようだ。

よく母は言っていた。
「みんな愛してるのに、どうしてこんなことになるの」
母も幼少期に愛されたことがない人間で
どうすれば子どもが愛情を感じられるか理解できなかった。

治療のこの時期、私は婚約していた彼と
別れ話がこじれ自殺未遂にまで追いやられていた。
「また自殺未遂か」とため息で終わらせた父の横で
「何で愛しているのに私の娘はこうなるの」と
母親は真剣に嘆いていた。

母は私を愛そうとして、苦しんでいた。
この人を愛してあげないといけない。
そう思った。

人の自尊心というのは物心付く前にできるらしい。
赤ん坊が自分の足で立とうとするときに
健全に見守り、喜んでくれる人がいれば
安心して赤ん坊は”冒険”を続けられる。
”ちょっと不安になったら親元へ戻ってこられる”という安心感が
「ママが自分を好きだから、自分も自分を好き」という
健全な自尊心の育成をもたらす。

しかし、そこで親が不在であったり
子供の自立を悲しむようなそぶりを見せると
「ママは自分を好きじゃないみたいだ、
自分は価値がない人間かもしれない」と
子供は不安になり、自尊心がゆがんでしまう。
あるいは、親を見下すことで
「自分は見捨てられたのではなく、見捨てたのだ」と
自尊心を守ろうとする。

前者が『見捨てられることを極端に恐れる』
境界性人格障害の患者になり
後者が『見捨てられる自分に向き合えず
見捨てる相手を攻撃する』自己愛性人格障害の患者になる。

私は親を見下し、軽蔑することで
親から愛されなかった(という記憶を持つ)自分を守ろうとしていた。
しかし、親が自分を愛そうとしているということを感じて
その必要がなくなった。

そこからは急速に回復した。
自殺したいと全く思わなくなった。
人から搾取されているのではなく、
与えられているのだと感じるようになった。
少しずつ親との会話が増えた。

ずっと”苦しい自分”としか戦っていなかったので
今でも人に共感する力は弱いと思う。
友人が弱っていても言ってくれなければ気づけないし
なぜ苦しいのか、体感できないことも多い。
正直に言うと、全くいい友人・家族ではないだろう。
そんな自分でも話しかけてくれるような
温かい人に恵まれて、今は生かされている。

そして何よりも、母が存命であるうちに
母を愛していると思えるようになって本当に、良かった。
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【2014/09/12 19:07】 | メンタルヘルス | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
No title
 よーし、オジサンもあなたに話しかけちゃうぞ〜


 良いお話でした。ありがとう。
 
 喜怒哀楽、幸不幸、福禍いずれにせよ、人が赤心を語るのを聞く、あるいは読むのは楽しい。心動かされる。なんでやろ?
【2014/09/14 22:07】 URL | 通りがかりのおっさん #-[ 編集] | page top↑
なんか、少し共感します。
母も幼少時、祖母に連れられて大陸(今の北朝鮮)から引き揚げてきたそうです。


共感力は、私もない方だと思います。人は相当苦労した経験がないと、なかなか人に優しくできないものだとつくづく痛感します。それだけに、自分に温かな人たちを大切にしなければ…
【2014/09/22 18:06】 URL | ライム #-[ 編集] | page top↑
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