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メールの誤字で体罰、計算ミスで24時まで残業!?過干渉でやる気を奪う上司と楽しく仕事を続ける秘訣



たとえばあなたが今日、急ぎのメールを仲の良い取引先へ送ったとします。
数分後、上司が激怒してあなたの元にやってきました。

上司「メールの書き出し、《時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます》とは何だ!ご清祥は個人に宛てる言葉だろう!」

こんな調子でメール1本に赤が10箇所以上入れられ、再送することになります。ところで先方は仲の良い取引先なので「いつもお世話になっております、くらいでいいのに《時下ますます~》なんて律儀だなあ」と感心していました。しかし上司は「お前はこれから、俺のOKが出るまで他社へメールを送るな」と指示。部下は上司がいる時間にしかメールを送れず、プロジェクトが遅延することになりました。

このように、部下の業務に強い干渉を行う指導方法を「マイクロマネジメント」と呼びます。マイクロマネジメントは何でも上司の許可がいるようにすることで部下の自主性を奪い、やる気をなくさせます。パワハラの一種として認識されているほか、婉曲的なリストラの手法としても使われます。仕事がシステマティックに動く日系大企業よりも、裁量権の大きい外資やベンチャーでよく起きるようです。

私は今までに数名のマイクロマネジメント上司に当たり、時には何人ものうつ病を発生させてきた上司だったこともあります。メールの例に倣えばスペースは全角だけ使え、「○○様」は文字サイズを0.5pt大きく、署名欄のフォントは氏名だけ明朝で電話はゴシック体がいい・・・など列挙しても信じてもらえないかもしれません。

しかし、そんな上司でも楽しく仕事をするすべはあります。今日は過干渉を行う上司と楽しく仕事をする方法について、生き延びた経験から書いていきます。


・上司は「不安でたまらない」ことを察してあげる

マイクロマネジメント型の上司の共通点として「自分の仕事を完璧にしなくちゃ!」という強い不安を抱えていることを挙げておきます。特に年次の浅い上司ですと、それまで《よくできる部下》の立場で頑張ってきた経験の方が長くあります。そのため自分が上司になったときは「期待を裏切らないように、前の自分と同じアウトプットを出さなくちゃ!」と踏ん張ります。

ところが、出世直前の経験豊富なヒラと(大抵それより年次が浅い)自分の部下の出来は異なってきます。何なら、新卒の学生が「お世話になっております」どころか「こんにちは。」とメールを書き出すこともあるでしょう。そんな時、上司は強い不安に襲われます。《私の完璧だった仕事が壊される!》と。

このように、マイクロマネジメント上司は「こんにちは。」の一文で心が吹っ飛ぶほど繊細なメンタルの持ち主であることを理解し、優しく包んであげなくてはいけません。自分が部下だと思うのはやめて、親のつもりで上司を育てる心意気でいきましょう。


・正確さのためなら仕事を遅らせる

よくマイクロマネジメント上司は「この書類を今日中に送れ」「でもミスは許さないので、何度でもチェックさせろ」という矛盾したことを言います。「急げ、でも急ぐな」-こういった間逆の指示をされると部下はパニックに陥りがちです。意味が逆の指示を同時に与えることを「ダブル・バインド(二重拘束)」といい、児童虐待やパワハラの場面でよく見られます。

でも上司はこの指示がダブル・バインドだと気づきません。なぜでしょうか?

実はこの指示のうち「今日中にやれ」は《上司の上司やお取引先など、他人から与えられた指示》なのです。上司の本音としてはできる限り時間をかけて完璧な書類を出したいが、周りがそれを許さないという不安状態にあります。

だからヒラとして大切なのは、目の前の上司を安心させてあげること。即ち「遅れてもいいから正確にやる」ことです。

もちろん期限に間に合わないことで小言を言われることもあるでしょう。しかし、その小言は「早く提出して質が低かった」仕事の1/10になります。なぜなら、時間をかけても正確なものを提出することが「上司が本当にやりたかったこと」だからです。遠くの偉い人より目の前の上司。スピードより質を優先させましょう。


・取引先を味方につける

マイクロマネジメント型の上司は、取引先にもそれがバレています。「同じ会社でもあの部署から出てくるものは遅いなあ」と思われていたり、部下を叱る上司を目の当たりにしているからです。だからこそ味方につけるべきは取引先の人たち。「いつも上司が厳しくて大変だね」と言ってもらえるようになったらこっちのものです。

プロジェクトが遅れそうなときは事前に電話し「すみません、弊社の上長が……」と曇らせた声で相手を説得しましょう。こうして「正確さを優先することで上司に気に入られる」だけでなく「取引先にも上司を言い訳に待ってもらう」根回しをすれば完璧です。

(なお、相手が下請けの場合はプロジェクトが遅れたせいで相手が徹夜したり、休日出勤するはめになります。お中元・お歳暮・お土産などで少しでもいたわってください・・・・・・。)


・「完璧な部下」と「ダメな可愛い部下」のどちらを求めているか見極める

マイクロマネジメント型の上司は《本当に完璧な部下》を求めている場合と《可愛いダメ部下》を求めている2パターンがあります。私の実感値では、比率で3:7くらいです。あまりに部下がデキると、マイクロマネジメント型上司は「私の存在意義がないかも」と不安になるからです。

もし後者の《可愛いダメ部下》を求める上司に出会ったなら「完璧な仕事マイナス1」の仕事をするよう努めましょう。そこで「もー、どうして表の題名を太字にし忘れてるんだ?これだから俺がいないとなぁ」と思わせるのが部下の腕です。なお、上司が変わったときにすぐ対応できるよう完璧な文書のコピーは必ず作成しておきましょう。


・上司は細かさという強みを持つ人材であると認める

上司は圧倒的にあなたより細かい人間ですが、「ミスをしない」強みで生きてきたことに間違いはありません。どうしてもミスが生まれがちな細かい作業を完璧に仕上げられるというのは、大きな強みです。上司の部下を教える手法は一切教わる必要はありませんが、完璧な書類を作るためにどうやって見直しているのか、スキルは盗んでおくことに越したことはないでしょう。

また、上司の細かさは「いびる性格」なのではなく、「仕事上の強み」と知ることで、上司がいざミスをしてもたまたま強みが見られなかっただけと思うようになります。これが「いつもうるさい上司だな」と思っていれば「なんだ、人のミスはがなりたてるのに自分のミスは笑って謝罪かよ」とフラストレーションを溜めかねません。

上司はたまたまミスが極端に少ない強みを持つだけで、あなたと同じ人です。上司のミスを見えないうちにキャッチできる部下になれば、あなたが次の上司になっても、部下のミスを同じように事前キャッチできるようになります。

以上、マイクロマネジメント上司と楽しく仕事するコツについて書いてみました。新卒でいきなりこんな上司に出会ってしまった方や、転職でこんなはずじゃないと思った方のお役に立てれば幸いです。

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【2015/04/28 12:13】 | ライフハック | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
表層と深層:深さを感じさせるアートとは何か

アートには表層的なものと、深いものがある。表層的なものは100人に見せたら90人が「可愛い!きれい!すごい!」と感じるようなものだ。表層的なアートの代表はラッセン、ミュシャだったり、ガウディやJILL STUARTのコスメまで入るだろう。

「表層的なアート」というと《深いアートに比べてレベルが低い》と誤解されるかもしれないが、そんなことはない。アートを「みんなのもの」にしたのは、表層的なアートの功績である。かつてアートは貴族など特権階級のものだった。表層的なアートは、私のような一般人へも美を解き放ったのだ。

また「誰にでも伝わる」ものを作ることほど、難しいことはない。「すごい!美しい!」といった感覚は、人によって大きく異なる”はず”だからだ。「みんなのもの」である表層的なアートに比べて、限られた人にだけ伝わる《深い》アートは、一般人から美を遠ざけているとすら言えよう。

では「深いアート」とは何か。深いアートは、簡単に言うと変化を楽しむものである。

ラーメン屋で、鰹だし、シイタケ、春菊、柚子と「○○の香り」と一言で言えないような、複雑な香りが押し寄せてくることはないだろうか。もっと高尚な例だと、ワインを嗅いだときに蜂蜜、乳酸、レモンの香り・・・・・・と香りが時間で変わったりしないだろうか。こういう言葉にし辛い感覚がいくつも重なっている作品を、私は「深いアート」と呼んでいる。

深いアートは一見、表層的なアートと区別がつかない。モーツァルトなんかそのいい例で「胎教にぴったり!」などと癒し系サウンドにされる半面、交響曲に詰め込まれたかなしみに心をやられてしまったファンは多い。

音楽から美術に移れば、モンドリアンの絵はぱっと見で「わからない」人が多いと思う。が、例えば下の絵が「ニューヨークの街を表現した」といわれたらどうだろう。

broadway001.jpg


Google Mapに慣れたわれわれなら、これが俯瞰した地図とネオンの輝く様子であることがストリートビューのように視覚化されるはずだ。視覚では伝わらないはずの「喧騒」や「煌びやかさ」もっと言えば「都会への憧れ」という感情までも、流れ出してくるストーリーがこの絵に深みを与えている。

深いアートには情報が必要だ。《この音楽、明るいけどなんだか悲しそうだし、激しそう》や《この絵、まるでネオンみたい》という直感に、モーツァルトの人生やモンドリアンの「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」という絵の題名が深い理解へと導く。直感で感動して、理解して感動する。深いアートには、2段階の感動がある。


ところが。深いアートに出会い、感動を人に伝えようとすると言葉は役に立たない。複雑な感覚を言葉で説明するには、いつだって言語は不十分だ。たいていは「あの作品、すごいんだよ」という言葉になってしまう。深いアートはその深さゆえに、表層的なアートの「すごい」と変わらない言葉でしか伝えられない。

その結果、表層的なアートも深いアートも「あの作品、すごいんだよ」という言葉で拡散していく。そして表層的なアートを求めて深いアートに出会った人は「なんじゃこりゃ」となってしまう。美味しいラーメン二郎があると思ったら本場のフレンチが出てきたぞ、と。そして人は思う。「アートって/クラシックって/グルメってetc……よくわからん」

非常に、もったいない話である。

作品は感覚で味わうものだ。もっと言うと五感で感動したものを人が事後的に「作品」と呼び始めるのだ。例えば、私はフランク・ミュラーの時計をバカにしていたけれど、下の動画で一気に惚れこんだ。



では、何が深いアートを「よくわからん」にさせるのか。私は、その時の気分だと思っている。深い感動が欲しい人に表層的なアートを紹介する。逆に、単なる「ぐっとくるものが欲しい」気分のときに深いアートを紹介する。こういう場違いな出会いは「アートそのもの」を嫌いにさせる。結婚記念日のレストランを探しているのにトンカツ屋を推されたり、おかゆが食べたいのに一流の寿司が出てきたら、トンカツや寿司ごと嫌いになるかもしれない。

もしそういう理由で捨て去ったアートが今までにあるなら、もう1度たずねてみてほしい。今度は正しい気分のときに。


【2015/04/23 18:53】 | ライフハック | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
神は「汝パンツを結婚式で履いたからには地獄へ落ちよ」と言うか?結婚式でセクシュアルマイノリティにおきる人権侵害と傷つき

こんにちは、いま結婚式の準備をしているトイアンナです。既婚の先輩方に「結婚式の準備って大変だよ~」とは言われていますが、なるほど実際にやってみると極端に雑務が多いので、効率厨としては精が出ます!!!(悲鳴)

さて、私はバイセクシュアル(男女共に恋愛対象)なわけですが、結婚式の準備ではこういったセクシュアルマイノリティ、略してセクマイに対する理解がない風習が山ほどあるなぁと痛感しています。風習なので「バルス!」と叫んで無闇に消滅させる必要はないと思いますが、自分がセクマイだと言えない人が多い日本で「こんな目線もあるんだ」ということが結婚式の当事者に少しでも伝われば嬉しいです。


ブーケトスで、受け取った人が次に結婚できる

幼少期に結婚式で想像したものといえば、新郎新婦が鐘のなるチャペルから出てきてブーケを放り投げるシーン。受け取った人は次に結婚できると言われます。相手の好意を踏みにじるようで心苦しいのですが、セクマイにとっては立派な人権侵害です。セクマイにはアセクシャル(無性愛者)という、誰にも恋愛感情を抱かない性の人がいます。恋愛結婚がスタンダードなこの国で、誰へも恋愛感情を抱かない人からすれば「結婚しなさい」は「できないことをしなさい」と言われるようなもの。

また、法律上結婚できない同性愛者にとっても「次に結婚できますように」とブーケを渡されるのは胸が痛みます。結婚するためには、カリフォルニアに飛ぶしかない。最近のブーケトスは「ブーケに数本のリボンを付けておき、それを未婚の女性ゲストに引っ張ってもらう演出」をしますが、できればセクマイはそのグループから除外してもらえると助かります。


同性の友人しか呼んではいけない

新郎は男性の、新婦は女性の友人を呼ばないと「異性と遊んでいる」ようで非常識というご指摘を受けることがあります。バイセクシュアルの視点で受け止めると「お前は男女共に性的対象だから、友達を呼ぶな」と言われていることになります。(辛うじてトランスジェンダーの友人は呼べますね・・・)

そもそも異性の友人がいたら何がしかの関係がその異性とあったに違いないって、いくらなんでもお互いの性欲を過大評価しすぎじゃないですか。「男性は隙あらばこれから結婚しようとする女性とでも寝たがるものだ」って、男性に対する差別もいいところです。私と寝たい男がそんなにいたら、今頃は宮殿でウチワ仰がせながら夜伽の相手を選定してるわ!せめて過去に関係があった人は呼ばないといった配慮だけで、充分じゃないでしょうか?

と、いうわけで私の結婚式では新郎の女友達だろうが、新婦の男友達だろうが皆様にお声をかけさせていただくことになりました。むしろガタガタ口出してきそうな親族には欠席していただいた。

☆なお、セクマイには「複数の相手と全員のOKをもらって付き合う」というタイプもいて、この場合は元彼・元カノだろうが呼んでも全く問題ないことになります。ただ、その場合結婚式をする相手が多くて大変そう。


女性の正装はワンピース・ドレス

この慣習はヨーロッパから来ているれっきとしたマナーなので否定するのは心苦しいですが、体と心の性別が違う人にとってワンピースは「女装」としか感じられない女性もいます。

また、現在のヨーロッパではウエディングは一部の上流階級を除きとてもカジュアルなものになっています。ネットオークションで落としたドレスで、そばにあるレストランでランチパーティ。ジーンズでもOKな場合があります。

そんな中、よもや華族のお生まれでもない日本人の結婚式でフォーマルドレスしか着てはいけないなんて、笑っちゃいそうです。キリスト教式だったとして、神は「汝パンツを履いてきたからには地獄に落ちよ」などと仰るでしょうか。その人が好む服装で、フォーマルならそれでいいではありませんか。それがタキシードでも、ドレスでも同じことです。


最近の20代の結婚式は、こういったところに対して寛容になってきているのではないかと思います。大抵瑣末なマナーに口を出してくるのは、仲良くもない親族だったりします。

自己中心的にご祝儀をぼるような式をして非難されるならまだしも、人権を守るためならその親族を呼ばないというのも選択肢です。今の時代、あなたが結婚するのはパートナーとであって、家とではないのですから。

テーマ:同性愛・両性愛 - ジャンル:恋愛

【2015/03/27 12:44】 | ライフハック | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
「逃げる力」を持とう:嫌な仕事から逃げたら評価されて、耐えた人は無能扱いになる


人生の8割は、逃げていました。

養護施設の子に石を投げる小学校から逃げて、私立中学を受験しました。
カツアゲという伝統が21世紀まで続く高校から逃げ出して海外へ。
帰国後、私をコンロで焼こうとした親から逃げ出して東京の大学へ進学しました。
その後、かんしゃくを起こすと花瓶を投げてくる婚約者から逃げ1人暮らしを始めました。
「女の子だから30歳になったら辞めてくれるよね?」と就活で言われて外資へ逃げました。
1社目の外資で長時間労働から逃げ出して転職しました。

その結果、どうやら私は幸せです。家でルームメイトとお茶を淹れながら「人に殴られる恐怖がないってなんて幸せなんだろう」とほっこりしています。

ところが、私がドストエフスキーやカミュに耽溺している間に、本棚の最前列では「チャレンジ精神」とか「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が蔓延していました。くらっくらしました。今までの人生、1つでも逃げ出さなかったら大変な人生になっていました。なので今日は「逃げる力」について書きます。


置かれた場所で咲いたら枯れる土壌が、この世にはたくさんあります。総合職向きなのに一般職を選んだひと、結婚相手に毎日殴られているひと、就活を考えただけで心がぎゅっとなる人、こんな人たちはすぐに逃げたほうが楽になるはずです。

逃げることが非難されるのは「逃げることを目的にしている」ときだけ。親から逃げるために結婚するというのは、責められることです。でもそこで責められるのは他人を道具にして逃げた手法で、あなたが逃げ出した事実ではありません。逃げ方は考えたほうがいいかもしれませんが、逃げることは悪いことではない。

特に社会で当たり前とされること(例:就活)から『逃げたら幸せになれない』と思う人がいます。しかし、逃げ出した先にないのは『大企業に就職して世間からよく見られる幸せ』だけであって、SATCのファンでないならそれ以外の幸せでも代替できます。SATCの方向で幸せになりたいとしても、六本木でブラックベリーをいじってモテるにはベンチャー起業の方が早いくらいです。


あとは、逃げた先でどう着地するかを考えずに逃げると、オッ様からは「逃げに見える」みたいです。たとえば「今の仕事はやりがいがない、転職したい」という相談をいただきます。安定志向を世間や家族が求めたのでとりあえず就職したようなケースです。ここで「転職」という逃げ方をする必要はないと思います。

やりがいが欲しいなら、今の職を維持しつつベンチャーに『タダで働くんで成長させてください』と直談判したほうが「安定」も「やりがい」も手に入ります。社会経験のある人がタダでサポートしてくれるなら、喜ぶ会社も多いのではないでしょうか。その後、ベンチャーが好きでたまらなくなってから辞めてみることをオススメします。

あとはブログの性質上「ライターになりたい」といった相談も受けます。今すぐフリーになるのもありですが、会社員をやりつつ月数十万稼げたら辞めるという「安全な逃げ方」があります。逃げる先で自分が咲けるかどうかは、逃げる前に試すことができます。

私が昔いた会社は、転職で憧れの企業でした。「成長したい」「もっと仕事でチャレンジしたい」と転職者が殺到しました。しかし、そのうち8割は数年以内にルーティーンのある会社へ戻ることになりました。逆に「外資の競争に疲れた」と日系企業へ行き偉い人順にメールのccを配置しなかったからと干され、外資へ出戻り、なんてケースもあります。

逃げ出したいときこそゼロかイチかなんて究極の選択をしがちですが、この世には両立する方法がたくさんあるので、まずは両立して、逃げたほうが幸せそうなら決断したほうがよさそうです。二兎を追う者は現代社会で「リスクヘッジできてるね!」と評価されるわけです。(毒親に殺される、DVで病院へも行けないといった命が絡むケースは、どこへ逃げても殺されないだけ幸せになれるので、すぐ逃げたほうがいいと思います。)


さて、私が人生で逃げ続けた話をすると、オッ様は「辛いことがあったのに、挑戦して幸せになったんだねぇ・・・・・・」と褒めてくださることがあります。いやいや私は逃げただけでチャレンジなんてしてない、と思っているのですが、どうやら世間はスッパリ向かない場所から去る人間を「チャレンジ精神がある」とみなすと気づいたのも、逃げ切ってからでした。

世間は「何か苦労した後幸せになった人」をチャレンジ精神があるとか、努力家とか言いたがるみたいです。つまり世間はあなたが幸せENDを迎えることを期待しているし、幸せになれるなら、逃げても負け犬の烙印なんて押さないんです。

ベンチャーで大活躍しそうな人材が、銀行で「お前の印鑑、かすれてるだろ!」と上司に叱られても10年耐える様子を見て「チャレンジ精神がある」と言われるところを見たことがありません。「あいつ、無能だよな」で終わりです。それよりベンチャーへとっとと逃げて「銀行からベンチャーへ行くなんて、チャレンジ精神あるよね!」と言われ頑張れるほうが双方にとって幸せでしょう。置かれた場所で咲くなんてとんでもない。【逃げるが勝ち】は1世紀の戦術からきたことわざです。逃げた先で、あなたが幸せになれますように。

テーマ:キャリアを考える - ジャンル:就職・お仕事

【2015/03/25 12:45】 | ライフハック | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
優しい人こそ、同性愛を拒絶したくなる

同性愛について日本で初めてきちんと議論が生まれている。オカマという別枠で同性愛を区別し、それを「日本は同性愛に寛容な証」と信じてきたひとは渋谷で日の丸背景に同性愛反対を叫ぶ集団を知り日本にも差別があることを知ってびっくりしたかもしれない。

ところで、なぜ同性愛差別があるのだろう?こんな質問をすると多くの人は「なんだか気持ち悪いから」というリアクションをする。逆に「優生学的に同性愛者は遺伝子を残せないエラーだから」なんて理由を付けてくる人の方が少ない。そして「なんだか気持ち悪い」という言葉を受け取るたびに、私は「この人も優しい人なんだな」と思う。優しい人は同性愛がおおっぴらに存在すると傷ついてしまうのだろうな、と。


『同性愛は普通にある』と認めることは何を意味するか。今まで《友人》だった人々が友人でなくなる可能性だ。この世には異性愛しかないと信じれば「あいつは友達、だって男だし」「あいつは友達だけど、あわよくば彼女。だって女だし」という性別でラベルを貼ることができる。逆に同性愛を認めれば「あいつは男だけど友達じゃないかもしれない」という思考が生まれる。20人に1人は性的マイノリティと言われているので、男子校・女子高ならクラスに1~2名が「友達」の枠を抜けてくる。

特に男性が同性愛の存在を認めることは「自分が無理やり口説かれるかもしれない」「自分が性暴力の被害者になるかもしれない」という新しい恐怖を生む。今まで「女性は夜道で気をつけなきゃ」と笑って忠告していた男性は恐怖を覚えるかもしれない。『俺が、夜道で気をつけなくちゃ』と。同性愛を認めない人は人口の半分を「自分を性的に脅かさないやつら」として安全圏に置けたのだ。

たとえば「男女の友情なんてありえない、どこかで異性は恋愛対象になる」という発言、実生活で聞いたことがある人も多いと思う。こう言っていた人が同性愛を認めたら、もうその人は他人を一切家へ呼べないだろう。「ニンゲンと友情なんてありえない、どこかで性的に気になるものだよ」になってしまうから。逆に言えば「男女の友情なんてありえない、どこかで異性は恋愛対象になる」という発言がまかり通ってきた日本の社会では、同性愛なんて黙殺の対象でしかなかった。

このように、日本では同性愛を認めないことで同性なら性的に安全だと勘違いしてきた。優しいメンタリティで「友達は自分をレイプするかもしれない」可能性から遠ざけてきた。しかし、同性愛を認めるなら「誰もが加害者かもしれない」のだ。もしかして友人は《加害者になりうる》のかもしれない。そんな世界は「なんだか気持ち悪い」に決まっている。

私も昔、彼女が欲しくて行ったレズビアン限定のイベントで初対面の女性にホテルへ引っ張られたことがある。恐怖でいっぱいだったし、それこそ「バイでなかったら女性からこんな目に合わされなかったのに」と思ってしまった。しかし、重要なのはレズビアンが性に積極的なのではなく《性に積極的な女性》という生き方はレズビアンの世界くらいでしか許容されていない現状のほうだ。


同性愛を議論するときに「同性愛ってなんだか気持ち悪い」という異性愛者の言葉をこき下ろしてはいけない。「気持ち悪さ」というあいまいな感情だから差別は本質的なのだ。そこには「女性は男性をレイプしたりしない」「男性は女性と友情から始まっても最後には口説くもの」という男女差別が同性愛差別のベースとして眠っている

本来は女性だって男性をレイプするし、男性だって「女性にナイフで脅され、レイプされるかもしれないから夜道に気をつけなくちゃ」いけないのだ。同性を安全な繭に包み、男が常に女を一方的に襲ったり守ったりする幻想は崩れつつある。

同性愛を差別して、同性=安全と優しいレッテル貼りをしても、自分の身を危うくするだけだ。そろそろ人口の半分を視界に入れなくてはいけない。「性暴力の加害者になる人は性別/性志向に関わらずいる」と認識することこそ「どんな性志向でも私の友人はそんなことしない」という本物の信頼関係に、繋がっていくのだから。

【2015/03/13 19:23】 | ライフハック | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
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